大正時代になると、西洋の音楽の影響により新形式の箏が考案されるようになります。
「新日本音楽」運動を展開して、現代邦楽の基礎を築いた「宮城道雄(みやぎみちお)」が大正10年(1921年)に音域を広げた創作曲に使えるようにと、多絃箏「十七絃(じゅうしちげん)」を発表しました。
従来の箏をより絃数を増やして低音が出るようになりました。
また、箏の長さも通常の箏の6尺(1.8m)に対し、7尺(2.1m)と大きくなっています。
宮城道雄作曲の「潮音」等にも、この十七絃が使われています。
ちなみに、現在でもお正月にあちらこちらで非常に良く聞かれる箏曲「春の海」も宮城道雄作曲の作品です。
(でも、「春の海」には十七絃は使われていません)
また、十七絃の反対の発想で、従来の箏よりもサイズを小さくした「短箏(たんごと)」も考案されましたが、こちらはあまり使用されていません。
この短箏の長さは4尺半(1.35m)前後ですが、絃は13本のままです。
日本の箏の歴史を駆け足で辿って来ましたが、
・雅楽で用いられる「楽箏」
・筑紫流で用いられる「筑箏」
・八橋流、生田流、山田流で用いられる「俗箏」
・大正以降に工夫考案された新型の箏「短箏」「十七絃」
これらが現代まで続いています。
現代では、一般的に「箏」と呼ばれる楽器は「俗箏」の事を指しています。
それでは箏の歴史はこのあたりでひとまず区切りを付けて、次は現在の「箏」という楽器について詳しく見ていってみましょう。
次は、 楽器の解説ページへ
「宮城道雄記念館」
http://www.miyagikai.gr.jp/kinenkan/index.html
(別のウインドウで参照)
文中でも紹介した多絃箏「十七絃」等を考案した宮城道雄の記念館のホームページです。
遺愛の箏「越天楽」や八十絃など宮城道雄考案の楽器が多数展示されています。
ホームページ上でも十七絃、八十絃、短箏等の画像が見られます。
※トップページから、館内案内 → 第1展示室と辿ると、展示中の八十絃の画像が見られます。
また、十七絃、八十絃、短箏、大胡弓の画像は、生涯と業績のページにあります。
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館内案内
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生涯と業績
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