IndexPage
←Back← 〇章 一章 二章 三章 四章 五章 六章 七章 八章 九章 十章 →Next→

箏の事典 -- 箏の歴史 --

一章『日本の「こと」は、最初は「琴」だった』

諸説が色々ありますが、現在の「箏」の原形となる楽器は、今から1,200年位前の奈良時代初期か、その前後に中国大陸から伝来したと考えられています。
しかし、日本にはその前から別の絃楽器、「和琴(わごん)」、「倭琴(やまとごと)」と呼ばれる楽器がありました。

各地の古墳から出土した埴輪には「弾琴」と呼ばれ、膝の上に五絃の琴を置いて弾奏している埴輪がありますし、静岡県登呂遣跡の出三土晶には「登呂式やまと琴」と命名された埴輪もあります。
古代琴の形は膝の上にのせて弾奏するもので共鳴させる箱等は無く、先に6個の突起のある板に5絃が張られていました。
この突起が、とびの尾のようなので「鵄尾琴(とびのおごと)」とも言い、また「天沼琴(あまのぬごと)」「天鳥琴(あまのとぞごと)」とも言われたようです。

伊勢神宮所蔵で神道五部書の一つ「御鎮座本記」には、「金鵄命、長自羽命、天の香弓六張を並べ、絃を叩いて妙音を調す」とあるそうです。
これは「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が天の岩戸に隠った時に、その岩戸の前で「天鈿女命(あまのうずめのみこと)」が舞い踊る、あの有名な話の中の一節です。
「天の香弓(あまのかぐゆみ)」という聖なる山の聖木で作られた弓を六張り並べ、「6本の絃」として 「金鵄命」「長白羽命」という金と銀に輝く羽を持った神が、その輝く羽で弓を叩いて妙音を響かせたと記されているのです。
これが和琴の起源ではないかと言われています。
また、その他の日本神話の中にも「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が「素盞鳴命(すさのをのみこと)」から琴を譲り受けた話が載っています。

古代の琴は朝鮮半島北部の「玄琴(コムンゴ)」(但し高句麗の王山嶽が改造する以前のもの)と共通する作りになっているものがあることから、古代に朝鮮半島から出雲地方へ渡来したとも考えられています。

また逆に、最近の音楽考古学によると、古代の琴は日本製ではないかという説も提唱されています。
古代の日本には「琴」の他に、中国大陸の「筑(ちく)」に似た「筑状弦楽器(ちくじょうげんがっき)」があり、現在までに琴と合わせて128個体が出土しています。
新しい年代観では、
・日本で共鳴体の伴わない事が出現する弥生時代前期=中国大陸の春秋時代
・日本で共鳴体付きの琴が出現する弥生時代中期=中国大陸の戦国時代
・日本で筑状弦楽器が登場し始める弥生中期後葉or後期前葉=中国大陸の前漢時代
それぞれ、このように年代が相当する物とされています。
ところが、中国大陸や朝鮮半島では日本古代の琴や筑状弦楽器が出土していません。
このため、これらの弦楽器は「弥生時代の日本で独自に生み出された物」と考えられると、放送大学の音楽学助教授、笠原 潔先生が発表されました。
(2005年9月2日,同3日、韓国・ソウルで開催された「東アジアの古代の弦楽器に関する国際シンポジウム」にて)

「埼玉県立歴史と民族の博物館」
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/  (別のウインドウで参照)

文中にて紹介した「弾琴埴輪(埼玉県川本町出土)」を収蔵し、常設展示している時もあります。
(念のため、来館前にはTEL等で展示状況を確認して下さい)

前のページへ戻る
次のページへ進む
Last modified Date: 2007/05/21 16:00:00 GMT+09:00:00
Copyright©Akira Kasuya 2003 All Rights Reserved.