IndexPage
←Back← 〇章 一章 二章 三章 四章 五章 六章 七章 八章 九章 十章 →Next→

箏の事典 -- 箏の歴史 --

七章『江戸時代の箏(1) 〜俗箏の祖、八橋検校〜』

江戸時代の頃になると、箏も演奏方法等により、いくつかの種類に分かれていました。
・楽箏(がくそう):雅楽に用いる箏曲
・筑箏(ちくそう):前記のとおり、筑紫流の箏曲
・俗箏(ぞくそう):盲人の職業「当道」により発達した箏曲や、婦女子の用いた箏曲
このうちの「俗箏」が現在の箏曲の元になっています。
雅楽の箏に対して、俗楽(雅楽以外の音楽の総称)の箏という意味です。
この「俗箏」の創始者が「八橋検校(1604〜1685年)」とされています。

八橋検校は磐城の国平町の出身で、赤尾(或は寺尾)検校の門人として三絃を学び、江戸に出て来た時に筑紫流の箏を修めた僧の「法水」から筑紫流の組唄の手ほどきを受けました。
(別説では、その後さらに九州に渡り、筑紫流二代の玄恕に教えを得たともされます。)
その後、京都に上り「上永検校」と名乗り、また「八橋検校」と改めたと言われています。
また、八橋検校は「平調子(ひらびょうし)」という、第4,6,9,斗(11)絃を半音(1律)下げた調絃と「陰旋律(いんせんりつ)」を創り出し、「拍子(ひょうし)」を細かく改めて大衆に興味をもたせるようにしました。
また、歌の旋律の歌い出しが筑紫流では拍子に合っているのに対し、八橋流では拍子から遅れて半問に歌い出す様になりました。
(歌が半間ずれる事は「俗楽」の特有な性質です)

また筑紫流組唄を改造して八橋流組唄にまとめました。
その曲名は
(歌物)
「菜蕗」「梅ケ枝」「天下太平」「薄雪」「晨」「雲の上」「薄衣」「桐壺」「須磨」「四季の曲」「扇の曲」「雲井弄斉」
(段物、調物)
「六段の調」「乱」「五段」「七段」「八段」等
これらのうち歌物の曲は、筑紫流から改造されたと考えられていますが、段物については原曲は中国大陸のものであるという説があります。
琉球(現在の沖縄)にも、一段、二段、三段と六段までの曲があるそうです。
一段の曲は「滝落し」とも言われ今でも現存しています。

八橋検校の「六段の調」は最も知られている箏曲の一つだと思います。

「長崎県文化振興室 長崎文化ジャンクション」
http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/  (別のウインドウで参照)
文中でも紹介した筑紫流二代の玄恕が四代目住職となっていた熊本県諫早市の慶巌寺には、八橋検校の偉業を讃え「六段発祥地」の碑があり、毎年秋には「六段祭り」も開かれます。

※ トップページから、長崎文化百選 → 事始め編 → 41-六段発祥地と辿って下さい。
辿り方がよく分からない場合、直接のリンク先は、こちらの 長崎文化百選 41-六段発祥地 (別のウインドウで参照) のページです。

前のページへ戻る
次のページへ進む
Last modified Date: 2005/11/08 07:00:00 GMT+09:00:00
Copyright©Akira Kasuya 2003 All Rights Reserved.