平安時代には、琵琶についてはいろいろな話がありますが、箏については、あまり話が出てきません。
中国大陸から伝来した箏は、当初は雅楽の楽器として主に合奏に使われていました。
しかし、平安末期に近畿一円で盛んに演奏されていた箏は、鎌倉時代以後に徐々に衰退して行きました。
公家中心の社会から、武士中心の社会への変革が原因とも考えられています。
しかし、この時代の有名な古典文学作品である「枕草子」や「源氏物語」には多くの箏の描写があり、「宇津保物語」には親子三代にわたる箏伝授の物語があります。
(ただし、宇津保物語の「こと」は、七絃琴のようです)
そして歴史の授業でもお馴染みの、平安後期の平家の栄枯盛衰を描いた「平家物語」にも箏が出てくる場面があります。
「源氏物語」の中では、源氏を初めとして色々な登場人物が箏を弾いています。
また「六条院の女楽」の話では、箏、琴、和琴、琵琶での、きらびやかな合奏の様子も描かれています。
「平家物語」では、小督の局が嵯峨野の隠れ家で「想夫恋」という曲を弾いた事は有名です。
ただし、この「想夫恋」という曲については色々な諸説があり、
・雅楽曲の「相府蓮」の誤りだという説。
・「相府蓮」を真似た「想佛恋」という曲を更にひねりを利かせて「想夫恋」としたという説。
・唐の国にあった「想夫恋]という曲(日本には伝わっていない)を、作者がその曲名を引用したという説。
まあ、これらの説についても正解は分かりません。
しかし、小督の局が嵯峨野で箏を弾いた事はだけは確かなようで、その時に使われた箏は「佐々波」の銘があり、現在でも皇室に保存されているそうです。